
英国人のジェームズ・ギルレイ(James Gillray)による1803年当時の風刺画「狂人の狂騒、あるいは激しい発作に襲われた小さな骨ばった男」。こちらから転載させて頂きました。
「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。
前回はナポレオン戦争(1803年~1815年)についてフランスが惨敗したトラファルガー海戦(1805年(開戦2年後))以降の流れを終戦まで俯瞰しました。
さて、今回はナポレオン神話(légende napoléonienne)とその罪を見てゆきます。
結論から言えば、ナポレオン神話は、戦争や戦争成金への批判を「否定する」のではなく、焦点をずらし、感情を再配分することで中和した、というのがポイントとのことです。
例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。
1)ナポレオン神話とは何だったのか
》ウイーン会議(1815年)以降、とくに王政復古期※や七月王政(1830~48年)※※に広がったナポレオン像は、実像というより社会的装置だったそうです。
※)フランスの復古王政 (Restauration: 1814~30年)はナポレオン1世失脚後、ルイ18世が即位し、革命で倒れたブルボン朝が復活したことを言います。反動的な政治(アンシャン・レジームの復活)が試みられ、カトリック教会の権威が再興。一方で、憲章に基づいた立憲君主政がとられたそうです。反動政策(シャルル10世)に対する国民の不満が爆発し、1830年の七月革命で倒されたとのこと。
※※)1830年7月29日にフランスで勃発した7月革命の後、オルレアン家のルイ・フィリップを国王とした立憲君主制の王政。
》その核心は、革命の成果(平等・功績主義)を体現し、軍事的な天才・英雄で、兵士と苦難を共にした「人民の皇帝」がナポレオンだったというもの。戦争を「犠牲」ではなく「栄光と意味」に変換する物語がナポレオン神話だったようです。
2)中和その一:戦争を「搾取」から「崇高な犠牲」へ置き換える
》戦争成金批判の核心「兵士の血を金に変える者がいる」に対して、ナポレオン神話の操作は以下のようなものだったそうです。
》兵士の死=祖国と皇帝への献身
》苦難=英雄的試練
》戦争=民族的・歴史的使命
⇒あれれ、、、。どこかで聞いたことがあるような、、。
》血は「金」に変換される前に「栄光」に変換され、その結果として次の現象が生まれたとうのこと。
》戦争が道徳的に「高次元」へ持ち上げられ、その背後の金銭関係が見えにくくなる
3)中和その二:「悪いのは皇帝ではなく周辺の俗物」という分業
》神話は責任を分解するようです。
》ナポレオン=純粋な英雄・意志・天才
》腐敗や金儲け=官僚、請負業者、小物の成金
》 批判は体制全体から「卑小な個人」へ局所化され、以下のような効果をうみだしたとのこと。
》戦争成金批判を完全には否定しないが、
》しかし、政治構造への批判に発展させない
⇒こちらも、あれれ、、、。
4)中和その三:「功績主義神話」による再定義
》ナポレオン神話の核の一つ「人は戦場で、自らの価値を証明できる」という思考。これにより以下のような思想が流布したようです。
》富ではなく「武勲」が真の成功
》金で成り上がった者は二流
》真のエリートは元兵士・将校
⇒塩野七生氏もこんなことを指摘していたような、、。
》結果として、 戦争成金は「本物ではない成功者」として相対化され、成金への文化的軽蔑は残る一方で、「戦争という仕組み」への批判は薄まるということになったようです。
⇒ムムム、、。
5)中和その四:復員兵の記憶を物語化する
》ウイーン会議(1815年)以降、社会には貧困に苦しむ復員兵や障害を負った元兵士が大量に存在。
⇒戦争の帰結として当然です。筆者が子どもの頃には町にこのような人々もおられたし、その人々を描いた小説や映画もありました。が、時代と共に薄れてしまうようですね。
》神話は彼らの現実を物語、回想録、民謡、挿絵へと昇華。
》現実の不正義を、記憶の名誉で補償し、それにより「なぜ彼らは貧しいのか?」という構造的問いが「彼らは英雄だった」という感情的承認に置き換えられるということです。
6)中和その五:ナポレオン=国家そのものという同一化
》七月王政期には、ナポレオンは「革命と国家の結節点」であり、「皇帝批判=国家批判」になりやすい構図となっていたようです。
》これが戦争成金批判が反体制的な方向へ行くのを防ぐ安全弁となっていたとのこと。
7)まとめ(要約)
》ナポレオン神話は、戦争批判及び戦争成金批判を否定せず、道徳的怒りを認めつつ、その矛先を次のようにずらしたようです。
》「戦争という制度」から「卑小な成金」へ、「構造」から「人格」へ、「金」から「栄光」へ。
ここまで記していて、ちょっと、背筋が寒くなりました。社会的中和装置の歴史も繰り返される(再利用される)のでしょうか?
ともあれ、理由は不明ですが、このナポレオン戦争以降に英仏は直接対決する戦争を行っていません。その真の理由を知りたいところですが、、。
ChatGPTによれば「戦争の費用>得られる利益」という冷徹な判断によるものとのことですが、、。とすると、以降の戦争は「利益」のために行われたという理解でよろしいのでしょうか、英仏に関しては?
次は第一次アフガン戦争に焦点を当ててみます。が、その前に、ウイーン体制下で生じた三つの戦争について触れます。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。「ナポレオン戦争」ミニシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争」
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