
イギリス東インド会社の軍隊(インド軍)の侵略経路。ざっくり測定した結果は1640kmの総延長。GoogleMapを用いて作成しました。

判断を間違えてイギリス東インド会社の軍隊(インド軍)を全滅させたエルフィンストン将軍。こちらから転載させて頂きました。
「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。
前回からしばらく第一次アフガン戦争(1838年~42年)への着目を始めています。
極めて穿った見方をすれば「ウィーン体制で沈静化した欧州から南アジアへの戦争の輸出(を戦争が無いと困る人々が行った)」の結果ではないかというのが筆者の感想です。
「ロシアの南下を警戒」がイギリスの動機とされますが、戦争自体にロシアは全く登場せず、イギリスのインド貿易は海運だけで問題無しという状況だったからです。
さて、今回は第一次アフガン戦争の理解を深めるためにイギリス東インド会社の軍隊(インド軍)の編成、侵略経路、および軍殲滅の原因、さらには無くなったインド人傭兵への補償について俯瞰してゆきます。
1)イギリス東インド会社の軍隊(インド軍)の編成と指揮系統
編成の特徴
・兵士(下級):大半がインド人傭兵(シパーヒー※)。パンジャーブやベンガル、ボンベイなどの州から徴集。
※)シパーヒー(Sipahi)はペルシア語で「兵士」を意味する語に由来し、インド人傭兵(セポイ:Sepoy)を表すのにもつかわれる表現のようです。
・下士官・中級指揮官:一部インド人が務めたが、多くはイギリス人将校の指導下。
・トップ(指揮官):完全にイギリス人将校が務める。初期の司令官はウィリアム・エルフィンストン将軍(General Elphinstone)。
指揮系統
・イギリス人司令官が戦略・戦術を決定
・イギリス人将校が連隊・大隊単位で部隊を統率
・インド人兵士は主に歩兵・騎兵・砲兵として実務担当
・指揮・命令は英語で伝達され、現地言語(ヒンディー語・パンジャーブ語など)通訳※を介して兵士に伝える
※)なでしこジャパンでも問題視されていましたが、通訳が十分に機能しないと組織は、特に相手のいる場合の組織はうまく回らないことがあるようです。
2)アフガン侵略の経路
部隊
・べンガル軍※とボンベイ軍※※が参加したようです。ベンガル軍が主力だったようです。
※)コルカタを中心として編成された部隊でしたが、二系統あったようで、現在のインド‐パキスタン国境のフェロゼプール(パンジャーブ地方)から侵略行軍を開始したとのこと。
※※)現在のムンバイを中心として編成された部隊。
侵略経路
フェロゼプール(Ferozepore)
↓(西へ進軍)
インダス川付近:Jacobabad / Khangadh
↓
ダーダル盆地(Dhadar area)
↓
ボーラン峠(Bolan Pass)
↓
クエッタ(Quetta)
海路でカラチに上陸したボンベイ軍がインダス川沿いに進んで合流。
ここまでは「インド」
↓国境を越えてアフガニスタンに侵入
カンダハール(Kandahar)← 主要拠点・休息地点に
↓
ガズニー(Ghazni)←攻撃地点
↓
カブール(Kabul)←首都占領地点
↓(反乱に在って撤退)
ジャラーラバードへ向かう途中のグラーム渓谷(Ghilzai / Khurd-Kabul 道周辺の峡谷)←全滅
3)全滅の原因とインド人傭兵への補償
・カブールから撤退する際に、実は、南西ルートをカンダハール方面に逃げたほうが良かったらしいのですが、、、。
・当時の指揮官エルフィンストン将軍(General Elphinstone、英国人)は年齢と健康の問題で指導力が低下※していて、退路選択の決断が遅れて部下の助言や現地情報を活かせず、最終的に北西ルート(カイバル峠方面)を選択したそうです。
⇒エルフィンストン将軍は60歳だったようです。重要な判断は若い人に任せるに限りますね。
※)「齢と健康の問題で指導力が低下」とはどこかで聞いたような話ですな。
撤退で壊滅した部隊ではインド人傭兵の家族の殆どが補償を受けられなかったようです。
⇒傭兵というからには契約があったでしょうに、、。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらにリンクされます)。
このシリーズの初回はこちら、同じく前回はこちらです。
「第一次アフガン戦争」小シリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争」
・「ナポレオン戦争」
・「テキサス独立戦争」
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