
当時の首都。ロシアはサンクトペテルブルクでペルシャはテヘラン。両者は地球規模で遠隔ですが、途中にコーカサス地方があります。GoogleEarthを用いて作成しました。

ガージャール朝ペルシャの版図。こちらから転載させて頂きました。
「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。
前々回から第一次アフガン戦争(1838年~42年)への着目を始めています。
現在のアフガニスタン、イランおよびパキスタンを理解する一助となるため、しばらく続ける所存です。
第一次アフガン戦争は「イギリスが東インド会社軍(インド軍)の駆って、『いきなり』アフガニスタンに攻め込んだ侵略戦争」と位置付けることができます。
その理由付けのひとつが「ロシア対策」だったようですが、その点を深掘りする必要を強く感じています。
そこで、第一次アフガン戦争に先立つ「ロシア・ペルシャ戦争」を俯瞰することにしました。
前回指摘したようにロシアとペルシャは17世紀から戦いを始めていますが、ここでは19世紀初頭に的を絞って考えてみます。
例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。
以下はロシア・ペルシャ戦争の概要です。
19世紀のペルシャ(現在のイラン)とロシア帝国の戦争は、主にコーカサス地方(現在のジョージア・アルメニア・アゼルバイジャン周辺)をめぐる争いだったそうです。
1)第一次ロシア・ペルシャ戦争(1804年~13年)
背景
・ロシア帝国は南下政策を進め、コーカサスへの影響力拡大を狙っていたということになっているようです。
・ペルシャの王朝(ガージャール朝)もこの地域を自国の勢力圏とみなしていたということになっているようです。
経過
・ロシア軍がジョージアを併合したことをきっかけに戦争開始とのこと。
・ペルシャはイギリスの支援を期待したが、十分な援助を得られず苦戦したそうです。
⇒ここにイギリスが登場。
結果
・ゴレスターン条約締結によりペルシャは以下を失う
・ダゲスタン、ジョージア、アゼルバイジャン北部の一部
⇒ジョージアがペルシャの一部だったとは知りませんでした。
2)第二次ロシア・ペルシャ戦争(1826年~28年)
背景
・ペルシャが失地回復を狙って再びロシアに挑戦したことになっているようです。
経過
・当初ペルシャが攻勢に出るが、ロシア軍が反撃とのこと。
・軍事力の差が決定的でペルシャは敗北したそうです。
結果
・トルコマンチャーイ条約締結によりペルシャはさらに以下の領土を失うことに。
・エリヴァン(現在のアルメニア)、ナヒチェヴァン
・ペルシャは多額の賠償金を支払い、ロシアに通商・外交面での特権を与えることになったそうです。
3)ペルシャの弱体化
・軍事的・経済的に大きな打撃をうけたとのこと。
・欧州列強(特にロシアとイギリス)への依存が強まったそうです。
⇒「依存」の内容をしりたいところです。
次に続きます。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらにリンクされます)。
このシリーズの初回はこちら、同じく前回はこちらです。
「第一次アフガン戦争」小シリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争」
・「ナポレオン戦争」
・「テキサス独立戦争」
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