
タイの不平等条約を主導した第四代香港総督のジョン・ボーリング。こちらから転載させて頂きました。

西洋化政策を進めたシャムのラーマ5世。在位は1868年~1910年で即位時は15歳。こちらから転載させて頂きました。
「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。
少し前から第一次アフガン戦争(1838年~42年)へ着目し始めています。
前回は第一次アフガン戦争で惨敗したイギリスがアフガニスタンに対して図った戦略転換を、その後、その他に国々に如何様に適用していったかをを俯瞰しました。
その中で筆者にとって意外な点が浮上しました。
筆者が小学生の頃、「アジアには欧米の植民地にならなかった国が二つある。日本とタイだ。」と先生から説明されました。
正確に言えば、ペルシャやアフガニスタンは独立を保っていたので「東南アジアおよび東アジアでは」と言うべきですし、中国も独立は保っていました。
ですが、この時から「タイ」という国のある種の強さが心に留まりました。
ところが、前回の投稿内容には「シャムはイギリスに間接統治されていた」とありました。
小学校の先生の説明との差異は何処から来ているのかとても気になりました。
そこで、ChatGPTに質問する形で「シャムの間接統治」について調べてみました。
結果は以下の通りです。
》》》》》》》》ここから》》》》》》》》
第一次アフガン戦争での大失敗(遠隔地への直接介入のコストとリスクが現実化)を経て、イギリスは「全部を直接支配する必要はない」という現実的な発想を強めたとのこと。その一つの完成形が、シャム(現在のタイ)への“間接統治的アプローチ”だったそうです。
1)間接統治とは何か
簡単に表すと「現地の王や政府を残したまま、外交・軍事・経済だけをコントロールするやり方」とのこと。
完全な植民地(インドのような直轄統治)と違い、
・見た目は独立国
・しかし重要な意思決定は列強の影響下
という“半主権状態”になることなのだそうです。
⇒これは、、、。
2)シャムでの具体的なやり方
シャムの場合、イギリス(+フランス)は次のような手段で間接的に支配したそうです。
①外交のコントロール
シャムは形式上は独立ですが、
・イギリス・フランスの意向を無視した外交はほぼ不可能
・条約によって対外関係に制約
という実質であり、「勝手な同盟や対抗政策はできない」状態だったようです。
⇒これも、、、。
②不平等条約による経済支配
代表例がボーリング条約(1855年)で、これによりシャムは
・関税自主権を喪失
・イギリス商人が自由に活動
・領事裁判権(治外法権)を認める
という状況になり、経済は実質的にイギリス主導へ
⇒これまた、、、。
③軍事的圧力(見えない脅し)
直接占領はされないものの、
・周囲にはイギリス領ビルマ・マラヤ
・フランスはインドシナを支配
であり、「逆らえばすぐ攻められる」状況が常に維持されたそうです。
⇒これはまさに、、、。
④内政はあえて任せる
ここが重要な点だそうで、
・王政は維持(例:ラーマ5世)
・官僚制度も自前で改革
だったとのこと。イギリスにとっては「コストをかけずに安定した緩衝地帯を確保」の結果に。
⇒ウーム、、、。ラーマ5世の生年は明治天皇生年の1年後で、在位期間もほぼ同じ、、、。
3)シャム側の巧みな対応
実は完全な受け身ではなく、
・西洋化改革
・列強を競わせる外交
で「完全植民地化」を回避したとのこと。
⇒でも間接統治だったのですよね、、。
⇒この点も、、、。
4)まとめ
間接統治の本質は「支配コストを下げつつ、重要な部分だけ握る」であり、シャムはその典型例。
・名目:独立国
・実態:半従属国
・役割:緩衝国家
という位置づけ。
《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《
筆者の感想は「似すぎている、、、」です。
次に続きます。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらにリンクされます)。
このシリーズの初回はこちら、同じく前回はこちらです。
「第一次アフガン戦争」小シリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争」
・「ナポレオン戦争」
・「テキサス独立戦争」
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