
ウィリアム・ジャーディン(左)とジェームス・マセソン(右)。こちらから転載させて頂きました。アヘンはイギリス東インド会社の管理下で栽培され、清国への密輸は私貿易商が担ったそうです。代表的な私貿易商としてジャーディン・マセソン商会が挙げられるようです。上掲の写真は創設者の二人。ちなみに、「グラバー商会」は「ジャーディン・マセソン商会」長崎代理店とのこと。
「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。
少し前から第一次アフガン戦争(1839年~42年)へ着目し始め、以降のイギリスのアジア政策を俯瞰しました。
「東南アジアで唯一の独立を保った国」であったシャム(タイ)が、実は「半植民地」だった事実に愕然とした次第です。
今回からはイギリスが清国(中国)に仕掛けたアヘン戦争(1839年~42年、56年~60年)に焦点を移します。
以下はアヘン戦争の概要です。
例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。
》》》》》》》》ここから》》》》》》》》
アヘン戦争は、19世紀に清(中国)とイギリスの間で起きた戦争で、大きく二回に分けられるそうです。中国の近代史の転換点となった重要な出来事だそうです。
1)背景
18~19世紀、イギリスは中国から茶や絹を大量に輸入してたところ、支払いに使う銀が流出して貿易赤字に悩んでいたそうです。
そこで、イギリスはインドで生産したアヘン(麻薬)を中国に密輸して売り始めたとのこと。
⇒このような非道に対してイギリスという国は謝罪を一切していないそうです。ということは、、、。
その結果、中国ではアヘン中毒が社会問題となり、銀も大量に国外へ流出したとのこと。
2)第一次アヘン戦争(1839年~42年)
清の役人である林則徐がアヘン取り締まりを強化し、イギリス商人のアヘンを没収・処分したことをきっかけに戦争が勃発。
軍事力で優れていたイギリスが勝利し、次の条約が結ばれました:
・南京条約
香港の割譲
5港の開港(広州・上海など)
賠償金の支払い
これは中国にとって最初の「不平等条約」とされます。
3)第二次アヘン戦争(1856年~60年)
イギリスに加えてフランスも参戦し、再び清と対立。清は敗北し、さらに厳しい条件を受け入れたそうです。
・天津条約
・北京条約
主な内容:
外国公使の北京駐在を許可
キリスト教布教の自由
貿易港のさらなる開放
アヘン貿易の実質的容認
4)結果と影響・
・清は主権を大きく制限され、半植民地化が進む
・欧米列強の中国進出が本格化
・国内の混乱が深まり、後の改革や革命(辛亥革命など)につながる
5)まとめ
アヘン戦争は、単なる戦争ではなく「西洋列強によるアジア進出」と「中国の近代化の遅れ」が衝突した出来事と位置付けられるそうです。この敗北をきっかけに、中国は長い混乱の時代に入っていったそうです。
《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《
表皮的な調査結果となってしまいました。もう少し深掘りしてゆきます。
次に続きます。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらにリンクされます)。
このシリーズの初回はこちら、同じく前回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争」
・「ナポレオン戦争」
・「テキサス独立戦争」
・「第一次アフガン戦争」
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