19cw041: 19世紀の戦争_041 アヘン戦争(1839年~42年、56年~60年)_3 発端

イギリスが清国への遠征軍派遣を決定した際の首相はウイリアム・ラム(Lamb)氏。上図は同氏のセックススキャンダルを揶揄した当時の漫画。タイトルは「N夫人とそのペットのL」で、女性は「古い山羊と分かれてかわいそうな子羊(Lamb)の面倒を見てあげるわ」と言っています。左の男性は角の生えた山羊で「ああ、これってすごく恥ずかしい(Sheepish)ことになりそうだ。」と呟いています。こちらから転載させて頂きました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。

前々回からはイギリスが清国(中国)に仕掛けたアヘン戦争(1839年~42年、56年~60年)に焦点を移しています。

前回はアヘン(阿片)とは何かを深掘りしてみました。

イギリスはアヘンの危険性を知りながら「密輸」を進めていました。危険性を知らなかったのであれば、密輸ではなく正々堂々と持ち込めばよかったはずです。

それを清国が取り締まろうとしていた、これが開戦前夜の状況です。

非人道的な行為を取り締まろうとした清国に対して、イギリスはいかなる理由で戦争を仕掛けたのか、今回はここを深掘りしてゆきます。

例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。

》》》》》》》》ここから》》》》》》》》

第一アヘン戦争(First Opium War)は、単に「アヘンを取り締まったから即戦争になった」というより、取り締まり後に起きた外交・通商問題が連鎖して拡大した結果として始まったということになっているようです。

流れを整理すると、次のようになるそうです。

1)林則徐によるアヘン没収・廃棄(1839年)
 清朝の道光帝は、深刻化するアヘン問題を解決するため、官僚の林則徐(Lin Zexu)を広東へ派遣。
 林則徐は、
・外国商人にアヘン提出を命令
・中国人のアヘン売買を厳罰化
・外国商館を包囲
など強硬策※を実施したそうです。
※)現代であれば適正な措置です。これを「強硬策」と表現するのでしょうか?

 その結果、イギリス商人が保有していた大量のアヘン(約2万箱)が提出され、虎門※で処分されたとのこと。
※)中国広東省東莞市にある「虎門鎮(Humen)」はアヘン戦争(1840年)の舞台となった歴史的な場所。

 イギリス側はこれを、
・「イギリス臣民の財産を一方的に破壊した」
⇒アヘンが財産???
・「自由貿易への重大な侵害」
⇒密輸が自由貿易???
と受け止めたそうです。
⇒言いがかりもいいところですな。

2)イギリス商人保護のための強硬姿勢
 当時、イギリス商人は清国内で正式な外交保護を十分受けられない状態でした。
⇒何せ、アヘンを密輸している訳ですから当然と言えば当然。海賊行為も有名でしたし、、。
 そこでイギリス政府は、広東の貿易監督官だったCharles Elliotを通じて以下を要求したそうです。
・商人の損害補償
・清政府の謝罪
・より対等な外交関係
⇒○○に似ているような、、。

対して清朝側は、
・「アヘンは違法」
・「違法品を没収しただけ」
という立場を崩さなかったそうです。
⇒当然すぎる対応ですが、、、。

3)九竜事件(1839年)
さらに緊張を高めたのが、香港近くの九竜で起きた殺人事件だそうです。
 酔ったイギリス船員が中国人を死亡させ、清朝は犯人引き渡しを要求したのに対して、イギリス側は、
・中国の裁判制度は不公正
・イギリス人はイギリス法で裁くべき
として拒否したそうです。
⇒「When in Rome, do as the Romans do.」をイギリス人は知らなかったのですな※。戴冠して2年のビクトリア女王もこの時20歳になったばかりで、ご存じなかったのでしょう。ビクトリア女王の教育係だったとされ閣議中に居眠りを目撃されたウィリアム・ラム首相もお伝えしなかったのではないでしょうか?
※)(Googleの説明)4世紀のミラノの司教アンブロジウスが、アフリカ出身の聖アウグスティヌスに与えた助言が元になっていると言われています。

ここで、
・清朝の「国内法を守らせたい」という立場
・イギリスの「治外法権的扱いを求める」立場
が真っ向から衝突しました。

4)貿易停止と武力衝突
清朝はイギリス船への食料供給停止など圧力を強化。
一方イギリス海軍は、
・商船保護
・海上封鎖突破
・清側砲台への反撃
を開始。
⇒これも○○に似ています、、、。

1839年秋には小規模海戦が発生し、事実上の武力衝突状態に。

5)イギリス本国が出兵決定
イギリス国内では、
・商業利益の保護
・中国市場拡大
・国家威信維持
を求める声が強まったそうです。
その結果、政府は遠征軍派遣を決定したとのこと。

1840年、イギリス艦隊※が中国沿岸へ到着し、本格的な戦争に発展したそうです。
※)人員の7割から8割がインド兵だったようです。

正式な「宣戦布告」は無かったそうです。

《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《

次に続きます。

このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらにリンクされます)。
このシリーズの初回はこちら、同じく前回はこちらです。「アヘン戦争」ミニシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争
・「ナポレオン戦争
・「テキサス独立戦争
・「第一次アフガン戦争」   

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