
「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。
前回からアメリカが第一次アヘン戦争後に起こした米墨戦争(1846年~48年)を俯瞰しています。
筆者が奇妙と感じたのは、メキシコとアメリカとの間の講和条約が結ばれた1848年2月2日の直前の1848年1月24日にカリフォルニアで金鉱が発見されたとされていることです。
アメリカによる北部カリフォルニアの征服が終わったのはさらにその直前の1847年1月13日でした。
発見者はメキシコ領カリフォルニアで建築業に携わっていたアメリカ人でした。
しかも、アメリカは1846年5月13日の宣戦布告の前に「戦争が開始されたらカリフォルニアを占領せよ」との命令を太平洋艦隊トップに発しています。
戦争の発端はテキサスの国境認識の相違でしたから、明後日の方角にあるカリフォルニアは紛争との直接の関係が無いはずです。
以上の記述だけからは「怪しい※」と考えるのは自然です。
※)アメリカは北部カリフォルニアの大規模金鉱を知っていたのではないか、、と考えられるということです。
よって、ゴールドラッシュの嚆矢を深掘りしてみることにしました。
例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。
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1)結論
結論を先に述べます。
「アメリカが米墨戦争を始めた時点で、「カリフォルニアに大規模な金鉱がある」とはほとんど※認識されていなかったようです。
※)微妙な表現ですな。「認識していた人もいる」とも読み取れます。まあ、調査を進めてみましょう。
金鉱の発見は、戦争が終わる直前の1848年です。
2)戦争前の認識
1840年代前半まで、カリフォルニアは
・気候が温暖で農牧業に適している
・良港(特にSan Francisco湾)がある
・太平洋貿易の拠点として有望
とは考えられていたそうです。
一方で、「莫大な金が眠っている」という認識は、アメリカ政府にもメキシコ政府にもなかったとのこと。
もしそれが分かっていれば、メキシコはもっと強力に防衛していた可能性があったそうです。
⇒⇒アメリカだけが内密に知っていたという憶測は否定できないはずですが、、。
3)金鉱発見
転機は1848年1月24日で、ジェームズ・マーシャル(James W. Marshall)が、サターズミル(Sutter’s Mill※)で製材所を建設中に砂金を発見したそうです。
※)サターズ・ミルはカリフォルニア州シエラネバダ山脈の麓、アメリカン川南支流の川岸にあった水力製材所で、所有者であるジョン・サター(John Sutter)にちなんで名付けられたとのこと。現在のカリフォルニア州都サクラメントの東北50㎞に位置するようです。
この時点では、米墨戦争が終結前で講和交渉が進行中の状況だったとのこと。
そのわずか数日後の2月2日※に、講和条約(Treaty of Guadalupe Hidalgo)が締結され、カリフォルニアは正式にアメリカ領となったそうです。
※)アメリカ軍がメキシコシティに入城したのが前年9月中旬で、同年1月の北部カリフォルニアの征服を待っていたかのように領土移譲を決める講和条約が結ばれたということになります。
4)金鉱発見の情報の拡散
発見当初、土地所有者のジョン・サターはそれを秘密にしようとしたそうですが、噂は急速に広まり、1848年末にはアメリカ東部・中南米・ヨーロッパにも伝わったそうです
そして1849年になると、いわゆる「フォーティナイナーズ(Forty-Niners)」と呼ばれる大量の採金者が世界中から押し寄せ、California Gold Rushとなったそうです。
5)ポーク大統領は知っていたのか
ポーク(James K. Polk)大統領が米墨戦争を始めた1846年当時には金鉱の存在を示す確かな※情報はなかったそうです。
※)これまた微妙な表現ですな。
ポーク政権が重視していたのは、
・太平洋への出口の確保
・San Francisco湾という優れた港の確保
・「Manifest Destiny(明白な天命)」の考えに基づいた西海岸まで領土拡大
だったとのこと。
そのため、金鉱の獲得は結果として得られた「予想外の大き利益」だったと考えられているそうです。
歴史家の多く※は「米墨戦争の主目的は金ではなく、太平洋への進出と領土拡大であった」としているそうです。
※)そう考えない歴史家もいるということのようです。
6)スターとマーシャル
以下のように二人ともメキシコ人ではなく、メキシコ領カリフォルニアにいたアメリカ人だったようです。
John Sutter:サター(本名はヨハン・アウグスト・ズッター)
・現在のスイス生まれ(ドイツ語圏)
・1830年代にヨーロッパからアメリカへ移住
・その後、西部へ向かい、1839年にメキシコ領だったカリフォルニアへ到着
当時のカリフォルニアはメキシコ領。が、人口が少なく開発も十分ではなかったため、メキシコ政府は外国人移住者を受け入れ、開拓を奨励していたそうです。
サターはメキシコ国籍を取得し、メキシコ政府から広大な土地の払い下げを受けて、サター砦(Sutter’s Fort)を建設していたとのこと。
つまり、出身はスイスでしたが、カリフォルニアではメキシコ政府の許可の下で活動していた開拓者だったそうです。
James W. Marshall:マーシャル
・アメリカ生まれ
・大工・技師として西部へ移住
・サターに雇われて製材所を建設中に金を発見
アメリカ人。
7)当時のカリフォルニアの人口構成
1840年代のアルタ・カリフォルニア(メキシコ領カリフォルニア※)は、人口がおよそ1万~1万5千人程度(先住民を除く)とされ、その中心はスペイン系・メキシコ系住民(「カリフォルニオ」と呼ばれたそうです)。
※)その領域には、現在の米国のカリフォルニア州、ネバダ州、ユタ州の全域と、アリゾナ州、ワイオミング州、コロラド州の一部が含まれていたそうです。現在のカリフォルニア州よりもずっと広域で、現在の日本の面積の3.6倍もあったとのこと。そこに1万人強の人口とは、、。
ただし、アメリカ人・イギリス人・スイス人・ドイツ人・フランス人などの外国人移住者も増え始めていたそうです。
メキシコ政府は彼らに土地を与えて定住を促したそうで、その結果としてアメリカ人移住者が増加し、やがてBear Flag Revolt※などを経て、米墨戦争中のアメリカによる占領を後押しする一因にもなったとのこと。
※)ベアフラッグ反乱(Bear Flag Revolt)は、1846年6月14日※※にカリフォルニアでアメリカ人入植者たちがメキシコ統治に対して起こした蜂起。彼らは独立を宣言して短命の「カリフォルニア共和国」を樹立し、ヒグマと赤い星を描いた独自の旗を掲げたそうです。わずか25日後の7月9日にアメリカ海軍によって併合されたとのこと。
※※)米墨戦争勃発は1846年4月25日。
⇒⇒入植者の蜂起というのはテキサス共和国の場合に酷似していますね。
8)サターとマーシャルのその後
皮肉なことに、サター自身は金鉱発見によって利益を得るどころか、大きな損害を受けたそうです。
金の噂が広まると、自分の農場や製材所で働いていた労働者たちは次々と採金へ向かってしまい、土地には無断で採掘者が押し寄せたそうです。事業は崩壊し、長年にわたる土地所有権争いも生じて、晩年は経済的に苦しい生活を送ったそうです。
マーシャルも破産の憂き目にあっているようです。
《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《
アメリカ政府は当初から領土の獲得を戦争の主な目的としていて、メキシコ全土を占領・併合することは考えていなかったようです。
だからこそ、「北部カリフォルニアの征服」を待って講和したとの憶測が生じます。
北部カリフォルニアへの侵略は海軍拠点の形成という目的もあったようなので、「ゴールドラッシュはおまけだった」との解釈も成り立ちますが、、、。
次に続きます。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらにリンクされます)。
このシリーズの初回はこちら、同じく前回はこちらです。米墨戦争ミニシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争」
・「ナポレオン戦争」
・「テキサス独立戦争」
・「第一次アフガン戦争」
・「第一次アヘン戦争」




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