dbme043: 大日山瞰川寺の石碑と御地蔵様(43)善光寺巡礼記念碑 その4 側面の漢詩

 善光寺巡礼記念碑の側面にある刻印文字の解読結果。「ひかり拓本」に近い手法で撮影し、解読結果をイメージに重畳させました。黄色文字はかなり確実、オレンジ色文字は「たぶん」、青色文字は「半信半疑」という解釈です。

このシリーズでは大日山瞰川寺の境内にある石碑と御地蔵様をひとつひとつご案内しています。

今回は善光寺巡礼記念碑の4回目です。
2回目はこちら、3回目はこちらにあります。

前回は石碑正面の刻印文字列の解析が進み、善光寺巡礼記念碑だったと伝わってきたものが「百観音順礼と霊場(湯殿山)順礼」の記念碑と考えるべき文面を含むことが判明しました。

建立年月も元禄八年(西暦1695年)八月であることが分かりました。大日山瞰川寺の堂宇建立よりも前の時代です。

今回は石碑側面に刻まれた文字列を調べた結果をご案内します。

例によって、ひかり拓本の手法を採用しました。

ですが、隣の石碑との間隔が不十分で、カメラを側面に正対させることができませんでした。

そこで、カメラの配置とその後のデジタル処理においては独自手法を用いました。

結果は上掲の写真イメージに上書きした文字です。

刻印文字のひかり拓本をご覧頂くために、筆者の上書き文字はその脇に配置しました。

解読結果は以下の漢詩です。

迷故三界城
悟故十方空
本来無東西
何処有南北


ChatGPTによれば、「迷いがあるから三界※は城のように感じられる。悟れば十方は空である。本来東西もなく、どこに南北があろうか」という仏教思想(空・非二元)を表す言葉なのだそうです。
※)三界(さんがい)は、仏教における欲望・物質・精神の迷いの世界(欲界・色界・無色界)を指すそうです。

巡礼碑に刻むと「方角を越えて仏の道を歩く」という象徴になるそうです。

正直なところ、上掲イメージに上書きした水色文字のように「本当にこの文字としてよいのだろうか?」という対象もありました。

ですが、この漢詩が巡礼者が被る菅笠(すげがさ)に書き込まれているほどに人口に膾炙しているそうなので、「恐らくそうなのだろう」という結論としました。

この漢詩は唐代~宋代の禅宗で広く使われた偈文※と考えられているそうです。
※)偈文(げもん)とは、仏教の経典の中ある文章で、仏の教えや徳を讃嘆し詩の形式で表現されたものこと。

日本には鎌倉時代禅宗の伝来※とともに入ったと考えられるそうです。
※)喫茶の習慣を日本に再び伝えたとされる栄西禅師と同時期ですね。

少なくとも16世紀には日本で一般化していた漢詩だそうですが、江戸時代になると特に 巡礼者の言葉として広まったそうです。


その側面の漢詩の確認により順礼記念碑としての当該石碑の位置づけが一層確実になったように思われます。

「西国+坂東+秩父」は百観音巡礼と言われ、江戸時代には百観音巡礼と善光寺参りを一緒に行う例※が多くあったそうです。特に東海地方や甲信関東でよく見られるとのこと。
※)最後の仕上げに善光寺を訪れるという形だったようです。

ただし、東北の修験道霊場である湯殿山(出羽三山)まで足を延ばす例は多くは無いようです。

正面の刻印文字の文面と併せて考えると、順礼満願供養の記念碑で間違いなさそうです。

建立時期を勘案すると、巡礼文化の初期段階の資料と位置付けられるようです。


本石碑、大日山瞰川寺の長期に亘る歴史を象徴する存在と改めて感じ入りました。

さらにさらに、江戸時代の農村の文化レベルの高さを思い知ったように感じました。


このシリーズはこちらに続きます(最新記事がアップされたらそちらが表示されます)。また、本シリーズの初回はこちらです。

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