
トラファルガー海戦の大惨敗を隠ぺいし偽情報を国民に伝えるフランスに対して、真実を伝える(ということになっている)John Bull(イギリス人の象徴)の図。「John Bull Exchanging News with the Continent. Trafalgar’ (caricature:風刺画):Published 11 December 1805 by Fores, S. W.(版画) and Woodward George Murgatroyd(原画)」。こちらから転載させて頂きました。
「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。
前回はナポレオン戦争(1803年~1815年)当時の庶民の考え方について俯瞰してみました。
今回は、ナポレオン戦争の当初の流れを見てゆきます。
0)前世紀から続いていたフランス革命戦争の講和
》1802年にフランスとイギリスとの間でアミアンの和約が締結されます。
》ですが、両国ともに約束を守らないために緊張は続きます。
》フランスは中央集権化による国内(租税徴収システム)整備を進め、イギリスは金融の非線形性で戦争資金を集めます。
1)実質的な戦闘再開(1803年5月初旬)
》イギリス海軍がフランス・オランダの商船を拿捕(正式な宣戦布告はされていない)。これが「本当の意味での再開」と言われることが多いようです。
⇒現代と異なり、「商船拿捕」は紛争にとって大きな意味があったようですね。
⇒1808年の出来事ですが、イギリスによる商船拿捕は日本の長崎にも及んだようです。イギリスがオランダを装って長崎港に侵入した事件のようですが、以降、日本の知識人の間で「イギリスは侵略性を持つ危険な国『英夷』である」と見なされ始めたそうです。
》対するナポレオンは「イギリス海軍による商船拿捕を『宣戦布告に等しい敵対行為』と認定し、外交交渉の余地は消滅した」と判断したようです。
⇒ナポレオンは速攻戦術に依存していたために早い(軽めの)判断に陥り易かったという指摘もあります。
》フランスの実際の行動:フランス国内・占領地にいたイギリス人男性(18~60歳)を一斉拘束(数千人規模で、軍人だけでなく民間人も)し、イギリス船・資産を没収したそうです。 これは報復であると同時に、イギリスへの人質外交・圧力手段でもあったようです。
》 当時としては非常に強硬で、国際的批判も受けているとのこと。
2)イギリスの宣戦布告(1803年5月18日)
》ナポレオンは、イギリスの商船拿捕(1803年5月初旬)と宣戦布告(5月18日)に対して、きわめて迅速かつ段階的に行動していて、感情的に動いたというより、「戦争は不可避」と判断して、用意していた手を一気に打ったというのが実像だそうです。
》ナポレオンは自らの立場を表明しました。
》「イギリスは、約束(マルタ撤退)を破り、武力で先制した」「戦争責任はイギリスにある」という論理を徹底したとのこと。
⇒現代の誰かに似ていますね。その人がナポレオンの真似をしているとすると、幼稚で愚かとしか言いようがありませんね。
》ナポレオンは次の政治的メッセージを発したそうです。フランス国内向けには「革命の敵・海上の専制国家イギリス」と敵愾心を煽り、ヨーロッパ諸国向けには「侵略者はイギリス」として中立・同調を促したそうです。
3)フランスに依るハノーファー占領(1803年)
》1803年6月にフランス軍がハノーファー選帝侯領(イギリス国王の領土)に侵攻しました。
》戦闘がほぼ無いままフランス軍が占領したのですが、英仏戦争再開後、最初の明確な軍事行動となったようです。
4)フランスによるイギリス上陸戦争の準備(1803~1805)
》ブローニュ大陸軍(Armée d’Angleterre(イングランド軍(イングランドに攻めてゆくぞというフランスの軍隊))):北フランス・ブローニュ沿岸に大軍を集結(約15~20万人規模、上陸用舟艇を大量建造、上陸訓練を反復)
⇒どこかの国の合同演習に似ていませんか?
》ナポレオンはこの時点では本気でイギリス侵攻を構想していたようですが、制海権はイギリスが掌握し、フランス海軍は劣勢という問題もあったようです。結果、後に侵攻計画は放棄して、大陸戦争へ重点移動(1805)としたようです。
⇒自らの得手である「戦争(拡大)」に持ち込むというナポレオンらしい判断ですが、このような人物をトップに置くことの危険性を庶民は如何様に知ればよかったのでしょうか?
》ナポレオンは長期戦を見据えた戦略転換(伏線)をしたようです。小規模な海戦を経て「イギリスは海では倒せない」と現実を悟り、大陸封鎖令(1806)およびイギリスを経済的に屈服させる構想へと繋がったとのこと。
5)トラファルガー海戦(1805年10月21日)
》イギリス海軍と仏西連合艦隊※との海戦がトラファルガー岬※※の近くで生じます。
※)スペイン(西)は「反イギリスという共通利益はあったが、実態はフランスに逆らえず引きずり込まれた同盟」によって海軍の弱いフランスに担ぎ出されたようです。
⇒これも現代の類似状況が想起されますね。
※※)スペイン最南部でカディスとジブラルタルの中間にある岬でジブラルタル海峡の出口近傍に相当します。
》フランスの惨敗で終わり、制海権獲得の可能性が完全に消滅し、ナポレオンのイギリス上陸計画が事実上不可能になったそうです。
海戦惨敗を隠すフランスを風刺するイギリス版画を上掲しましたが、藤原定家の和歌「見わたせば、、」を謹呈させて頂きたいと思いました。「誰に、、?」とはおっしゃらないでください。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。「ナポレオン戦争」ミニシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争」
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