19cw034: 19世紀の戦争_034 第一次アフガン戦争(1838年~42年)_4 1800年頃のイギリス事前交渉

ナポレオン率いるフランス軍によるアッコ包囲戦の失敗の図。オスマン帝国とフランスとの戦争の場面に、何故か、ユニオンジャックが翻っています。こちらから転載させて頂きました。

コーカサス山脈。まさに「天下の険」という印象。こちらから転載させて頂きました。

コーカサス地方~民族境界を含む植生・土地被覆図。山脈が衝立のようです。こちらから転載させて頂きました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。

少し前から第一次アフガン戦争(1838年~42年)への着目し始めています。

前回はその前段階と考えられる二度の「ロシア・ペルシャ戦争(19世紀)」を俯瞰しました。

そこにイギリスが登場します。「ロシアとペルシャの戦いに『イギリス』」です。

戦場はインドから離れたコーカサス地方です。

イギリスの植民地インドの近くならばさておき、、、と筆者としては不思議な感覚に囚われました。

そこで調べてみました。ペルシャに対するイギリスの事前交渉を。

例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。

====ここから====
19世紀冒頭のロシア・ペルシャ戦争において、ペルシャ(カージャール朝)がイギリスの支援を期待した背景には、イギリス側からの事前の外交的働きかけ(アプローチ)が確かに存在したそうです。

ただし、その内容は一貫した「全面支援の約束」というより、対フランス・対ロシア戦略の中で揺れ動く限定的関与だったようです。

1)背景:イギリスの戦略目的
当時のイギリス(イギリス)※にとって最大の関心は:
※)イギリス全国民という意味ではないと理解すべきでしょうか?
・インド支配の防衛(英領インド)
・フランス(フランス)の東方進出阻止
・ロシア(ロシア帝国)の南下牽制
ペルシャは、これらの緩衝地帯・同盟候補として重要視されていたそうです。
⇒これは正しい解釈でしょうか?確かに、ペルシャはインドとロシアの中間に位置します。が、かなりの遠回りです。しかも天然の城壁であるコーカサスが黒海とカスピ海の間にそびえます。

2)イギリスの事前アプローチ(主な流れ)
①18世紀末~1800年前後:初期接触
・イギリスはペルシャ宮廷に外交使節を派遣
⇒多くの場合にこれでキックオフですな(笑)。
・主目的:フランスの影響力排除※、インドへの陸路侵攻の阻止※※、ペルシャ側に「イギリスは支援しうる存在」という印象を与えるという辺り。 ただしこの段階では軍事同盟としては曖昧だったようです。
※)「フランスvsロシアvsペルシャ」という遠交近攻(えんこうきんこう)をフランスは考えていたようですが、、、。
※※)侵攻の主語は???どうやらフランスだったようです。
⇒フランス(ナポレオン)には「エジプト → シリア (オスマン領)→ ペルシャ → インド」というルート構想があったようで、1798年のエジプト遠征自体がその一環だったそうです。が、ナポレオン軍がシリアの要衝アッコの攻略に失敗(1799年)してとん挫したとのこと。

②1807年:フランスの介入で状況が揺れる
・ナポレオン・ボナパルト がペルシャに接近※
※)フランスは陸路をあきらめて海路に方針転換したようです
・「英印攻撃構想」の一環として同盟を模索
・ペルシャは一時的にフランス寄りになる(フィンケンシュタイン条約:1807年)※
※)フランスがペルシャの対ロシア戦争を支援し、ペルシャがイギリスとの関係を断つ、フランス軍の通過や影響力拡大が想定されるといった内容が含まれていたそうです。
・対抗してイギリスは外交を強化
・さらに、フランスは軍事顧問団(将校団)を派遣し、ペルシャ軍の近代化を支援。これは「足場」に近い影響力の行使ではあったようです。
⇒日本の幕末が連想されますな。

③1809年:英・ペルシャ条約
・イギリスは正式にペルシャと条約を締結
・主な内容:フランス排除、ペルシャへの軍事顧問派遣、外国(特に欧州勢力)からの侵略時の支援約束※
※)ペルシャ側はこれを「ロシアに対する軍事支援も含む」と解釈したそうです。
⇒明治維新の際はどうだったのでしょうか?

④1812年:イギリスの方針転換
・ナポレオン戦争の進展でイギリスとロシアが対フランスで同盟関係に
・結果:イギリスはペルシャ支援を縮小し、ロシアとの関係を優先したそうです。
・ペルシャ側から見ると:「約束が反故にされた」状態に※。
※)イギリスは限定的支援(資金・教官)にとどまり、決定的な軍事介入は行わなかったそうで、ロシア・ペルシャ戦争におけるペルシャの敗北の一因になったようです。
⇒いわゆる「梯子を外された」ということですな。

====ここまで====

ChatGPTに「ペルシャがイギリスを信用しすぎた理由」を訪ねてみました。「選択肢が乏しい中で期待をかけすぎた」「『大国の約束=実行される』と見積もってしまった」などが回答です。

そもそも、コーカサス地方を巡るロシアとの紛争であるにもかかわらず、直接の関係を持たないフランスやイギリスが自らの利益を重んじて横からペルシャにちょっかいを出してきたという構図が読み取れます。

現代のイランはこの200年前の失態を糧としているのでしょうか?

とある国の首相とその周辺がこの辺りを勉強していることを切に願うのみではありますが、、。

次に続きます。

このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらにリンクされます)。
このシリーズの初回はこちら、同じく前回はこちらです。
「第一次アフガン戦争」小シリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争
・「ナポレオン戦争
・「テキサス独立戦争」    

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