19cw050: 19世紀の戦争_050_米墨戦争_1846年~48年_4_明白な天命???

(抜粋)米墨戦争の理解を深めるために当時のアメリカ人の間に浸透していたとされる「明白な天命」について調べてみました。

「明白な天命」を最初に主張したオサリバン。イメージは1874年11月、『ハーパーズ・ウィークリー』誌の表紙を飾ったもので、この時は戦争回避のための国際仲裁の仕組みを構築しようとする会議に出席する目的でジュネーブを訪問中。オサリヴァンが当初抱いた考えでは力による領土拡大を要求しなかったようです。アメリカ式民主主義の拡大は白人(すなわちアングロサクソン人)が新しい領域に移民すれば、軍事的行動無しにそれが起こるものだと信じたとのこと、、、。こちらから転載させて頂きました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。

 アメリカが起こした米墨戦争(1846年~48年)においてメキシコは膨大な領地を移譲する結果となりました。

 アメリカから見ると「侵略大成功」です。

 アメリカが開戦前から侵略を目的としていたのは明白です。

 その侵略の妥当性を支えたのが「明白な天命」という概念だったそうです。

 「天命であれば侵略も是」という思想、現代ではある特定の国家のみが掲げていますが、19世紀のアメリカはこれに染まっていたようです。

 このような概念あるいは思想が繁茂した経緯と背景を調べてみる価値があると考えました。

 例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。

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0)はじめに
 「明白な天命(Manifest Destiny)」という言葉を最初に用いた人物ははっきり分かっているそうです。

  しかし、その考え方自体はそれ以前からアメリカ社会に広く存在したとのこと。

1)「明白な天命」という言葉を作った人物
 この言葉を初めて用いたのは、ジョン・L・オサリヴァンという人物のようです。1845年※だったそうです。
※)米墨戦争開戦の前年です。

 1845年7月に『United States Magazine and Democratic Review』誌に掲載した論説では、

「神の摂理によって与えられた、われわれの明白な天命(Manifest Destiny)は、この大陸全体に自由を広げることである。」

という趣旨が記されたそうです。

 同年12月には、テキサスやオレゴン問題について論じる別の論説でも、この表現が用いられているそうです

2)なぜこの考え方が生まれたのか
(ア)独立革命以来の「アメリカ例外主義」
 1776年の独立以来、多くのアメリカ人は、
・自由
・民主主義
・共和政
こそが世界で最も優れた政治制度だと考えていたそうです※。
※)そのように考えていた根拠を知りたいところです。

 そのため、「アメリカは世界の模範となる国家である。」という意識が育ったそうです。

(イ)西部開拓
 18世紀末から19世紀前半にかけて人口が急増※。
※)1790年 392万人、1800年 531万人、1810年 724万人、1820年 964万人※※、1830年 1,286万人、1840年 1,706万人。約10年ごとに3割以上増加していて、その主因は農業社会における高出生率だったそうです。働き手が欲しかったということでしょうか?
※※)この頃に隣国メキシコの人口を追い抜いたということになるでしょうか?

 東部では土地不足となり※、多くの人々が西へ移住。
※)ということですよね、、、本質は。

 新しい農地を求める開拓民が、
・オハイオ
・インディアナ
・イリノイ
・ミズーリ
などへ西進。

(ウ) 宗教的背景
 当時のアメリカではプロテスタントの影響が非常に強く、多くの人が

「神はアメリカに特別な使命を与えている」

と信じていて、西部への進出は単なる経済活動ではなく、「神の意思を実現する行為」と受け止められるようになったそうです。

(エ)イギリスとの競争
 1840年代には、イギリスもオレゴン地方や太平洋沿岸に影響力を持っていたため、アメリカ国内では「今行動しなければ西海岸を失う」という危機感もあったそうです。

3)なぜ1845年だったのか
 オサリバンの1845年は偶然ではなく、この年には
・テキサス併合
・ポーク大統領就任
・オレゴン問題
という領土問題が一気に表面化。

 オサリヴァンはこうした時代背景を受け、領土拡大を正当化するスローガンとして「Manifest Destiny」という言葉を用いたようです。

4)国民はどう受け止めたか
 当時の民主党支持者や西部開拓民には非常に歓迎されたようです。

 一方、ホイッグ党の一部や奴隷制度拡大に反対する人々は、

「領土拡大は不要な戦争を招く」

として強く批判。

「明白な天命」はアメリカ国民全員が一致して支持した考えではなく、当時から賛否の分かれる理念だったそうです。

5)歴史的評価
 「明白な天命」はアメリカの西方拡大を理解するうえで欠かせない概念であると同時に
・メキシコとの戦争を正当化する論理
・先住民の土地の収奪を正当化する思想
としても用いられたため、現代の歴史学ではその負の側面も重視されているそうです。

《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《

 「明白な天命」を言い出したオサリバン、その後の人生はかなりつらいものだったようです。

 戦争を経なくても「明白な天命」が実現されると考えていた理想主義者が「戦争が無いと困る」人々に利用された形だったのでしょうか?

 とまれ、オサリバンが「西海岸まで」とせず「大陸全体に」としている点は気になるところです。

 また、オサリバンを利用した人々が「西海岸まで」で満足したかどうかも気になります。

 さらに本質的なのは「アメリカ例外主義」の根拠を当時のアメリカ人が如何様に考えていたかではないでしょうか?

 次に続きます。

 このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらにリンクされます)。
 このシリーズの初回はこちら、同じく前回はこちらです。このミニシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争
・「ナポレオン戦争
・「テキサス独立戦争
・「第一次アフガン戦争」 
・「第一次アヘン戦争」   

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