(抜粋)1844年大統領選挙に候補を打ち立てた自由党は、アメリカ史上初めて「奴隷制廃止」を唯一最大の公約として結成された全国政党だったそうです。この党が奴隷制廃止を公約とした背景を調べてみました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。
アメリカが起こした侵略戦争である米墨戦争(1846年~48年)。アメリカの隣国侵略の妥当性を支えたのが「明白な天命」という概念であり、それを支持した1844年選挙結果だったようです。
その選挙で奴隷制度廃止を唯一最大の公約としてジェームズ・G・バーニーを大統領候補としたのが自由党でした。
筆者はこのユニークな政党に興味を惹かれ、前回はその設立過程を調べてみました。
経緯はある程度理解できたのですが、奴隷解放を訴えた思想の背景は深掘りできていませんでした。
当時の自由党の人々の考え方を把握したいと考えました。
例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。
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0)はじめに
自由党の思想は1840年代のアメリカ政治を理解する上で最も重要なテーマの一つなのだそうです。
結論は次の通りで、道徳・宗教・経済・政治の四つの理由が重なっていたとのこと。
自由党(Liberty Party)は、人道的理由だけでなく、「自由労働(Free Labor)」という経済・社会思想を背景に、奴隷制度はアメリカ共和国そのものを腐敗させると考えていたそうです。
1)人道的・宗教的背景(最も基本)
自由党の支持者の多くは、
・クエーカー教徒
・長老派
・メソジスト
・福音派プロテスタント
で、彼らは
「人間は神の前で平等であり、人を財産として所有することは神の意思に反する」
と考えたそうで、自由党の出発点だったとのこと。
2)「自由労働」の思想
経済的背景としてこちらが非常に重要。
北部では、
・小農
・職人
・商工業者
が増えていて、彼らは
「人は自分の労働によって財産を築くべきだ」
という考え方Free Labor(自由労働思想)を持っていたそうです。
彼らからは奴隷労働が
・賃金を押し下げる
・自由な競争を壊す
・努力して成功する機会を奪う
制度と見え、
奴隷制度は資本主義の健全な発展を妨げる
と考えたようです。
3)西部開拓との関係
1840年代はマニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)の時代とされているようです。
新しい州や準州が誕生するたびに問題となったのは
「自由州か、奴隷州か」
で、自由党は
「西部は自由な農民が土地を所有して耕作する地域であるべきだ」
と考えたとのこと。もし奴隷制が広がれば、巨大なプランテーション経営が進み、普通の農民は土地を得られなくなると考えたようです。
4)政治的背景
自由党は奴隷制度そのものだけでなく、
「奴隷所有者が連邦政府を支配している」
ことを問題視していたそうです。
当時、歴代大統領の多くは南部出身、あるいは奴隷制度に妥協的な人物だったそうです。
自由党支持者は
「奴隷制度がある限り、本当の共和政にはならない」
と考えていたそうです※。
※)手本とした古代ローマの共和制時代にも奴隷はいたようですが、、。
5)人材・人口の観点
北部では大量のヨーロッパ移民が流入していて、彼らは
・工場労働者
・職人
・農民
として働いていたそうです。
一方、南部では黒人奴隷労働が中心。北部の人々は
「自由市民が働く社会の方が教育も技術も発達する」
と考えたそうです※。
※)この点※※には筆者も賛同します。
※※)そもそも、「自由労働は奴隷労働よりも経済的・道徳的に優れている」という考えを最初に体系的に論じた人物として最も有力なのは、アダム・スミスだそうです。1776年の国富論の中で「奴隷は自分の利益のために働かないので、自由労働者より能率が悪い」と論じたそうです。
つまり自由人の能力を活かす社会を理想としたそうです。これは後の共和党の
Free Soil(自由な土地)
↓
Free Labor(自由な労働)
↓
Free Men(自由な人々)
という有名なスローガンにもつながるとのこと。
6)国際的背景
1840年代には、イギリスではすでに(1833年)に奴隷制度が廃止されていたそうです。フランスでも奴隷制度廃止運動が進んでいたとのこと※。
※)マサチューセッツ、ニューヨーク、ペンシルベニア、オハイオなどでは1840年代に奴隷制度が廃止されていたそうです。ただし、南部で生産される綿を加工する業種は間接的に綿農場で働く黒人奴隷に依拠していたとのこと。
そのため自由党は
「文明国アメリカが奴隷制度を維持するのは恥である」
とも主張したそうです。
7)なぜ1840年・1844年に自由党が登場したのか
1840年代は、
・西部への領土拡大
・テキサス併合
・オレゴン問題
などにより、
「新しい領土で奴隷制度を認めるのか」
という問題が急速に浮上したそうです。
民主党もホイッグ党も、この問題では党内に賛成派・反対派を抱えていたため、明確な立場を示せずにいたようです。
そこで自由党は、
「奴隷制度廃止を唯一最大の争点とする政党」
として誕生したそうです。
自由党は規模こそ小さい政党でしたが、「自由労働社会」という理念を全国規模の政治課題として提示し、その思想は自由土地党を経て共和党へ受け継がれ、最終的にはリンカーン政権の成立へと繋がったそうです。
《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《
「○○を唯一最大の争点とする政党」という戦略は18世紀の前半からイギリスやアメリカで行われた実績があり、自由党が最初ということではなかったようです。
自由党に参集した人々の間では「小異を捨てて大同につく」が実践されていたということですな。
また、今回の調査で奴隷制度が労働問題と関連していることを初めて認識しました。
残念なというか、幸いにというか、人道的・宗教的な課題も経済と結びつくと解決する(方向に向かう)という好例かもしれません。
米墨戦争はひとまずここで区切り、次はクリミア戦争を見てゆくことにします。
次に続きます。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらにリンクされます)。
このシリーズの初回はこちら、同じく前回はこちらです。米墨戦争ミニシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争」
・「ナポレオン戦争」
・「テキサス独立戦争」
・「第一次アフガン戦争」
・「第一次アヘン戦争」




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