
このシリーズでは大日山瞰川寺の境内にある石碑石像と建築物をひとつひとつご案内しています。
今回は庚申塚の十一回目です。
完全に嵌っています(笑)。
初回はこちら、二回目はこちら、三回目はこちら、四回目はこちら、五回目はこちら、六回目はこちら、七回目はこちら、八回目はこちら、九回目はこちら、十回目はこちらに、それぞれ、あります。
三回目以降、ひかり拓本の文字解読作業を継続しています。
前回(十回目)では全九行のうちの第七行目と第八行目の解読結果をご案内しました。それぞれ、供物リストと祈願文でした。
今回は第九行目です。
猿像よりも上で、枠内の碑文としては最後の部分です。
「所迄一結衆等欽敫白」
と読み取ってみました。この行の刻印文字は消耗が軽いため、「迄」と「敫」を除いて比較的明確でした。
左端の枠に近接しているため、風雨などから守られたのかもしれません。
意味は「以上を、結衆一同、謹んで(強く)申し上げる」ということのようです。
「結衆」は「同志」という意味のようです。
ここで、全体の文章を復習してみましょう。
0)外枠右「午賑寛文七年」 外枠左「丁未菊月拾一日」
1)一行目「大日本國東海道駿刕志駄郡大津庄」
2)二行目「岸村居住白衣眞俗筆鳴三丗」
3)三行目「寄進数年間毎六度禁除驅賑」
4)四行目「各白蓮座謹唱弥陀名号侍申」
5)五行目「三界唯一心之外無別法心佛及衆生是三為一夫」
6)六行目「神使供養奉建立観世音菩薩尊」
7)七行目「供俻香花燈明飯米餅菓篲筕」
8)八行目「俍伏願者二世安穏吉祥神光思之」
9)九行目「所迄一結衆等欽敫白」
構成は次の通りと読み取れます。
0)(外枠)建立の位置付けと年月日
1)地域の明示
2)主体の明示
3)賑恤事業
4)念仏供養
5)唯心思想(漢詩)
6)観音建立
7)供物奉献
8)願文
9)結衆一同の奉白
以下、解読結果です。
0)「前年(午年)の社会事業(賑恤※)を記念して寛文七年(丁未(ひのとひつじ))菊月拾一日に建立」
※)「賑」は賑恤(しんじゅつ)のことで、弱者救済を意味します。
1~9)日本国東海道駿州志太郡大津庄岸村に居住する眞の在家信者・俗名「筆鳴」三十名※。数年間寄進を行い、六度にわたり負担を免除し、救済を実施した。各々が蓮座を念じつつ、謹んで阿弥陀仏を唱え奉ると申し上げる。三界に唯心思想以外無く、心、佛、衆生は一体である。神の使い(猿)を供養し、観世音菩薩像を建立奉る。香花・灯明・飯米・餅菓・篲筕(ほうきとむしろ)を供え整える。よき心で謹んで願うことには、現世・来世ともに安穏吉祥であり、神の御光明がこれを照らし給わんこと、以上を、結衆一同、謹んで(強く)申し上げる。
※)賑恤実施者および記念碑建立者を「集団(構)」と考えて、文意の理解を変更しました。
この文意であれば、宝珠と蓮華を捧げる猿像二体が刻まれている構図との整合性が理解できます。
今回はここまでです。
残るは最下部の人名、および龍ないし蛇の尾などの細工、人名と猿像の間の空隙などの解明や確認となります。
これまで述べたように、本石碑建立360周年の本年10月28日までの完全解読を目指して、鋭意努力する所存です。
このシリーズはこちらに続きます(最新記事がアップされたらそちらが表示されます)。前回はこちらです。また、本シリーズの初回はこちらです。
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