or015: 大井川の研究_15 大井川鐵道の歴史_1

大井川鐵道の現在の「顔」の機関車トーマス号。こちらから転載させて頂きました。

このシリーズでは大井川のことを深く理解するために徹底的な研究を進めています。

前回までは大井川に架かる橋を水源から列挙し、特徴を記述しました。橋は全部で74本あり、その大部分は上流にあります。私も時間ができたら「橋銘板」を写真に撮り、一覧としてみたいと考えました(名前の無い橋はどうしましょうか?)。


さて、今回からは大井川鐵道の歴史に注目してゆきます。

なお、こちらに詳しい解説がありますので、本稿では私自身の勉強を兼ねて概要中心に述べてゆきます。

ちなみに、大井川鉄道は2001年に名前を大井川鐵道としたそうです。

大井川鐵道には二つの路線があり、大井川本線井川線です。

まずは、大井川本線の路線データについて。

路線距離(営業キロ):39.5 km
軌間:1,067 mm
駅数:20駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1,500 V)
閉塞方式:スタフ閉塞式(金谷駅 – 新金谷駅間)、自動閉塞式(新金谷駅 – 千頭駅間)
最高速度:65 km/h

続いて、戦前の歴史を以下に記します。金谷千頭間電化が1949年ですので、それまでは蒸気機関車ないしディーゼル機関車による運行だったはずです。

1921年(大正10年)7月6日:駿府鉄道に対し鉄道免許状下付(志太郡島田町 – 同郡東川根村間)。
》私が小学生の頃に「最初は島田駅から左岸を通す予定だった」と先生から教えて頂いた記憶があり、それと合致します。
》その前の計画では静岡から千頭までの路線を予定していたようです。
》東川根村とは現在の川根本町の北東部に当たるようです。当時は志太郡だったのですね。
》当初の利用目的は「材木の運び出し」が主だったようです。

1922年(大正11年)5月1日:大井川鐵道に名称変更(届出)

1923年(大正12年)2月22日:起業目論見変更認可(榛原郡金谷町 – 志太郡東川根村間)
》起点が島田から金谷に変更された理由がこちらに挙げられています。
1)大井川両岸を比べると、西側の方が平地が多い。
2)天龍川(天竜川)流域との交通上の結びつきがあり、人口、物資の集散などから功利的であること。
3)東岸には地すべりや崩壊をおこしやすい蛇紋岩地域があること
》ですが、大井川通船組合や島田軌道の反対も強かったようです

1927年(昭和2年)6月10日:金谷駅 – 横岡駅(現在は廃止)間開業(1067 mm, 蒸気動力)

1928年(昭和3年)7月20日:分岐点 – 居林駅(現在は廃止)間開業(貨物営業のみ)
》「居林駅」というのがあったのですね。横岡駅から2km上流側のようです。
》「分岐点」とは横岡分岐点のことです。

1929年(昭和4年)12月1日:居林駅 – 家山駅間開業、分岐点 – 居林駅間の旅客営業開始

1930年(昭和5年)
 7月16日:家山駅 – 地名駅間開業
 9月23日:地名駅 – 塩郷(仮)駅間開業
 10月9日:内燃動力の併用を開始
》「内燃動力」とはおそらくディーゼル機関ではないでしょうか?

1931年(昭和6年)
 2月1日:塩郷(仮)駅 – 下泉駅間開業。
 4月12日:下泉駅 – 青部(仮)駅間開業
 12月1日:青部(仮)駅 – 千頭駅間開業
 12月2日:分岐点 – 横岡駅間廃止
》「横岡駅」は分岐点で本線から分岐した先にあった駅のようです。

1931年に金谷駅 – 千頭駅間39.5 kmが開通し、千頭ダムや寸又川ダム建設のための物資の輸送が鉄道により行われることとなったそうです。

さらに、ダム建設後はそれに伴う流木補償に鉄道が利用されて、本来の建設物資輸送に木材輸送が加わったそうです。

さらにさらに、沿線住民の貴重な交通アクセスとしても利用され始めたとのこと。

》》》》このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通りです。
・「ダム
・「本流の変遷」 
・「」 

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