or016: 大井川の研究_16 大井川鐵道の歴史_2

大井川鐵道を走る近鉄車両(12000系電車)。こちらから転載させて頂きました。

このシリーズでは大井川のことを深く理解するために徹底的な研究を進めています。

前回は大井川鐵道に注目し、大井川本線の規格と戦前の歴史を調べてみました。

今回は戦後の歴史を昭和の最後までを俯瞰します。

1949年(昭和24年)
 11月18日:金谷駅 – 千頭駅間1,500 V電化
 12月1日:ELが運行開始
》ELとは電気機関車が客車を牽引する列車のことです。
》東海道本線の電化は沼津~静岡間が1949年2月、静岡~浜松間が1949年5月でした。その半年後、東海道本線とほぼ同時期に電化されたようです。
》現在の変電所は二か所で、塩郷変電所と五和変電所のようです。

1951年(昭和26年)8月8日:電車が運行開始
》この場合の電車は「気動車」のことと思われます。

1957年(昭和32年)10月22日:閉塞方式の変更届け出(票券→タブレット)
》鉄道では衝突回避のために線路を一定区間(閉塞区間)に区切り、ひとつの閉塞区間に複数の列車が同時に入れないようにしているそうです。単線では特に重要です。票券方式からタブレット方式に変更されたことにより、通票の陸送が不要になったようです。

1961年(昭和36年)
 1月25日:鉄道信号を色灯式に変更認可
 8月:金谷駅 – 井川駅間直通「あかいし号」が運行開始。鉄道とバスを直結した周遊コース「赤石スカイラインコース」設定
》日本隊のマナスル初登頂(1956年)を契機とした第二次登山ブームが1960年~1970年に発生したとのこと。それを反映した企画だったと思われます。
》私が小学生の頃、派手な服装の登山客を大井川鐵道ホームで見かけたことがありました。「営林署の人の方が格好いいな」と思ったのは…内緒です(笑)。

1969年(昭和44年)4月26日:静岡駅から国鉄の快速「奥大井」が千頭駅まで乗入れ開始。
》下り(?)が二本で、静岡発が0852と1407、千頭着が1036と1551。上りは一本で千頭発1618で静岡着1753。登山客や寸又峡観光客には便利だったと思われます。私は親と「奥大井」に乗った記憶があります。帰りの千頭駅では席取りダッシュの大役を命じられたような…。
》》こちらによると、静岡千頭間は1日二本ではなく、運転日によって時刻が変わる1日1本だったそうです。
》後出の快速「すまた」は浜松発0929千頭着1122と千頭発1127浜松着1339でした。
》》「奥大井」が1983年11月、「すまた」が1984年9月を以って廃止となったようです。

1970年(昭和45年)12月26日:自動信号化と列車誘導無線設置。自動信号化により五和駅(現:合格駅)、神尾駅、福用駅などが無人駅化。
》自動信号化とは、おそらく、自動列車制御装置(ATC)の装備のことです。地上から車上へ情報伝達し、列車が許容速度を超えると自動的にブレーキを作動させるシステムとのことです。
》列車誘導無線とは、地下やトンネル内など電波が届きにくい環境で、線路に沿って布設された「誘導線(漏洩ケーブルのこと?)」から電波を送受信することで列車と地上が通信する方式なのだそうです。

1971年(昭和46年)
 1月1日:電車急行が運行開始。
 10月1日:郵便物をトラック輸送へ移行。
 11月20日:松島変電所自動化完工により無人化移行。
》松島変電所というのは下泉駅と塩郷駅の間にあった変電所のようで、松島側線という分岐もあったようです。側線は主として木材の搬出のためにあったそうです。

1973年(昭和48年)10月7日:浜松駅から国鉄の快速「すまた」が千頭駅まで乗り入れ開始。

1976年(昭和51年)7月9日:SLの本線営業運転を再開。
》対岸の向谷からも汽笛の音が聞こえました。

1983年(昭和58年)10月1日:貨物営業廃止。

1984年(昭和59年)12月6日:一部列車をワンマン運転化。

1985年(昭和60年) 7月23日:日切駅開業。
》日切駅開業が昭和の最後の頃とは知りませんでした。

【概要】電源開発事業終了後は、地域の重要な足として利用されていたがモータリゼーションの発達は容赦なく経営を圧迫し、他のローカル線と同様に赤字路線に転落した。1969年(昭和44年)には大井川鉄道株式会社は名古屋鉄道の傘下となって経営再建に奔走したが、1972年(昭和47年)には赤字路線に対する国庫補助・欠損補助金対象路線にまで落魄した。このころより鉄道の廃止が検討されはじめたが、起死回生の一手として、1976年(昭和51年)、大井川鉄道株式会社は、前年全国的に廃止されたばかりの蒸気機関車 (SL) を金谷 – 千頭間に導入した。これは、廃止の淵に立たされた鉄道路線経営にとって大きな経済的効果を挙げ、SL目当ての客が多く利用し、大井川鉄道株式会社の経営は次第に回復することとなった。その結果、1978年(昭和53年)には路線の存続が正式に決定され、1980年(昭和55年)には欠損補助金の対象からも外されて経営再建を果たした。

》》》》このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。「大井川鐵道の歴史」ミニシリーズの初回はこちらです。その他のミニシリーズの初回は以下の通りです。
・「ダム
・「本流の変遷」 
・「

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