19cw053: 19世紀の戦争_053_米墨戦争_1846年~48年_7_1844年大統領選挙

(抜粋)米墨戦争の理解を深めるために当時のアメリカ人の間に浸透していたとされる「明白な天命」、これを支持する結果を招いた1844年大統領選挙について調べてみました。

ジェームズ・ギレスピー・バーニー(1792年 – 1857年)。ケンタッキー州ダンビル生まれのアメリカの奴隷制度廃止論者、政治家、弁護士。農園主兼奴隷所有者から奴隷制度廃止論者に転身し、奴隷制度廃止論者の週刊誌『ザ・フィランソロピスト』を発行した。反奴隷制の自由党から大統領候補に2度指名された。こちらから転載させて頂きました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。

 アメリカが起こした侵略戦争である米墨戦争(1846年~48年)。その結果はメキシコに膨大な領地の移譲を強いました。

 アメリカの隣国侵略の妥当性を支えたのが「明白な天命」という概念であり、それを支持した1844年選挙結果だったようです。

 ただし、当時は普通選挙ではなく、アメリカ全国民が侵略を是とした訳ではなかったようです。

 そこで、当時の選挙制度を調べてみることにしました。

 例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。

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0)はじめに
 当時の選挙制度についての理解は、「明白な天命」がどの程度「国民の意思」だったのかを考える上で非常に重要とのことです。

 結論から申し上げると、
・1840年代には、現在の意味での普通選挙はまだ実現していない
・しかし、独立直後と比べると、選挙権は大幅に拡大していた

 1840年代は「富裕層だけの政治」から「白人成人男性の政治」へ移行しつつあった時代といえるそうです。

1)独立直後(1776年頃)
 多くの州では選挙権に
・一定額以上の土地所有
・一定額以上の納税
などの資格があったとのことで、地主や富裕層が中心の選挙だったようです。

 これはイギリスの制度をかなり引き継いだ結果だったようです。

2)1820~1830年代
 ここで大きな変化が起きたそうです。

 西部の新しい州では「土地を持っていなくても投票できる」という制度が採用され始めたとのこと。

 これに古い州も追随。

 この流れを象徴するのがアンドリュー・ジャクソン大統領で、「普通の白人男性」の代表として支持されたそうです。

 この時代をジャクソニアン・デモクラシー (Jacksonian Democracy)と呼ぶそうです。

3)1840年代
 この頃になるとほとんどの州で財産資格は撤廃※されていたそうです。
※)イギリスで男性についての財産資格が実質的に撤廃されたのが1918年なので、かなり先行していますね。

 白人成人男性であれば、土地がなくても投票できる州が大半に。

 したがって、1844年の選挙(ポーク大統領が侵略を公約に掲げた)では、投票者の多くは「富裕層」ではなく、農民・職人・商人・労働者だったそうです。

 ただし「普通選挙」からは遠く、投票できたのは基本的に成年・白人・男性だったそうです。投票できなかった人々は女性・奴隷・多くの自由黒人(州によって異なる)・多くのネイティブ・アメリカンなど。

 すなわち、人口全体では半数以上が投票できなかったことになるようです。

4)「明白な天命」は誰の意思だったのか
 1840年代には知識層が思想を形成したものの、実際に選挙でポークを当選させたのは

非常に多くの白人一般市民

のようです。

 つまり、「明白な天命」は知識人だけの理念ではなく、かなり広い範囲の白人男性有権者※に支持されていたと考えられているそうです。
※)理解度は千差万別だったでしょうが、、。

 ただし、支持理由は一様ではなかったとのこと。
・西部の農民は「土地が手に入る」ことを期待
・商人は新しい市場の拡大を期待
・知識人や政治家は共和政や自由の理念から支持
・宗教的な人々は神の摂理という観点から支持

 同じ「明白な天命」を支持していても、その動機は社会階層によってかなり異なっていたと考えられるようです。

《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《

 当時のアメリカは様々な思惑から「侵略は是」とする民主主義的結論に達したようです。

 白人男性に限定されていた選挙権の下で選択された侵略推進でしたが、得票は以下のように結構にきわどいものだったようです。

・ジェームズ・K・ポーク(民主党)1,339,494票(49.5%) 170票※
・ヘンリー・クレイ(ホイッグ党)1,300,004票(48.1%)105票
・ジェームズ・G・バーニー(自由党) 62,103票(2.3%) 0票
※)選挙人票数。ポークは大票田のニューヨーク(36票)を獲得したのが勝因だったようです。奴隷制度拡大に反対したバーニーがクレイ※※の票を減らしたとされています。
※※)クレイは戦争に慎重な立場を取っていたようです。ただし、1812年開戦の英米戦争の際には強烈なタカ派だったそうです。

 第三の候補が立候補していなかったならば、普通選挙が実施されていれば、「侵略は是」が認められなかった可能性はあったのでしょうか?

 とまれ、当時のアメリカの人口が1700万人と言われていますので、その8%弱の票を得たポーク※が侵略戦争を推し進めたことになります。
※)2026年2月の日本の総選挙での自民党の小選挙区での得票率は49.2%(約2,490万票)で、当時のポーク大統領の得票率となぜか近い数字です。

 次に続きます。

 このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらにリンクされます)。
 このシリーズの初回はこちら、同じく前回はこちらです。米墨戦争ミニシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争
・「ナポレオン戦争
・「テキサス独立戦争
・「第一次アフガン戦争」 
・「第一次アヘン戦争」   

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