dbme045: 大日山瞰川寺の石像・石碑・建築物_45 庚申塚_9 漢詩と神使が現る

庚申塚 その3」でご案内した「ひかり拓本」の「猿像」の上の部分。再撮影の結果、文字の解読が進みました。太文字が今回追加分です。黄色文字は解読に自信、オレンジ色文字は「おそらく」、水色文字は「半信半疑」、そして赤色文字は「??」を表します。

このシリーズでは大日山瞰川寺の境内にある石碑石像と建築物をひとつひとつご案内しています。

今回は庚申塚の九回目です。

完全に嵌っています(笑)。

初回はこちら、二回目はこちら、三回目はこちら、四回目はこちら、五回目はこちら、六回目はこちら、七回目はこちら、八回目はこちらにあります。

ひかり拓本の文字解読作業を継続しています。

前回(八回目)では全九行のうちの最初の四行の解読が進んだ旨をお伝えしました。

今回は第五行目と第六行目です。五行目がかなり難しく、解読の詰めに時間が掛かりました。

さらにブログサイト移設作業が重なり、「前回から御無沙汰」となってしまいました。

さて、中央の五行目です。以下のように読み取ってみました。

三界唯一心(唯心思想)
之外無別法(その外に別法なし)
心佛及衆生(三者(心、佛、そして衆生)提示)
是三為一夫((これら)三者は一体)

漢詩のスタイルです。内容は仏教思想のようで、心と佛と衆生(生きとし生けるものすべて)は一体であることが強調されているようです。大日山瞰川寺の真言宗との親和性の高い内容の漢詩のようです。

冒頭の「三」については、前回は「二」と読んでいましたが、詳細解析の結果、横棒がもう一本ありました(笑)。

最後の「夫(それ)」は漢詩に頻出する結語のようです。イメージの下にはみ出しているのはご愛敬とご容赦願います。

寛文年間の岸村、漢詩が当たり前の文化水準だったようです。恐るべし。

次の第六行目は次のように読み取りました。

「神使供養奉建立観世音菩薩尊」

最初の「神使」は相当に悩んだのですが、下の方に二つの猿像が刻まれていることで得心に至りました。

山王信仰※が普及していた地域では「神の使い=猿」という解釈が十分に成り立つようです。
※)日吉社を起源とするようですが、その始まりは最澄が比叡山を開山した際に天台守護の護法神として祀ったことに始まるそうです。確かに、比叡山には猿が沢山います(笑)。

文意は「神の使い(猿)を供養し、観世音菩薩像を建立奉る」となります。

ところで、「観世音菩薩像建立」は元禄年間建立の「善光寺巡礼記念碑」にも現れた文言です。

この塚とは別に観世音菩薩像が建立されたとも考えられますが、大日山瞰川寺の境内には該当する石像は見当たりません。

ただし、ChatGPTによれば、江戸期碑文では「観世音菩薩像建立」が必ずしも「独立した観音像を『別に』建てた」ことだけを意味しないそうです。文字碑そのものを「板碑型観音碑」として建立する例はあるそうです。

それらの例に合致するとすれば、本石碑自体が「救済事業の功徳を観音信仰へ結び付けた供養碑・観音碑」なのかもしれません。

件の巡礼記念碑も観世音菩薩像として建立された可能性がありますね。


今回はここまでです。

これまで述べたように、本石碑建立360周年の本年10月28日までの完全解読を目指して、鋭意努力する所存です。

このシリーズはこちらに続きます(最新記事がアップされたらそちらが表示されます)。前回はこちらです。また、本シリーズの初回はこちらです。
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