19cw051: 19世紀の戦争_051_米墨戦争_1846年~48年_5_アメリカ例外主義

(抜粋)当時のアメリカ人の間に浸透していたとされる「明白な天命」という思想、それを支えた「アメリカ例外主義」について調べてみました。

1898年のハワイ共和国併合を報じる新聞。「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」という思想に基づく「アメリカ例外主義」は、アメリカの領土拡大を後押ししてきたという添え書きがありました。「明白な天命」は「大陸内」と留まることを知らなかったようです。こちらから転載させて頂きました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。

 アメリカが起こした米墨戦争(1846年~48年)においてメキシコは膨大な領地を移譲する結果となりました。アメリカから見ると「侵略大成功」です。

 その侵略の妥当性を支えたのが「明白な天命」という概念で、「天命であれば侵略も是」という思想に19世紀のアメリカは染まっていたようです。

 この概念を支えていた主軸に「アメリカ例外主義」があったようです。

 個人の場合には、成熟した知性は歴史に普遍性を認めるところであり、「自分は例外だ」とするのは未熟な人間の発想と筆者には思えます。

 国家がこの反知性的とも言える思想に固執した(する?)背景や理由を知りたいと考えました。

 例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。

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0)「アメリカは歴史の例外」の根拠
 アメリカ例外主義は、

1776年から1840年代頃までのアメリカ人が「自由・民主主義・共和政は最善の政治制度である」

と考えた点に出発点があるようです※・※※・※※※。
※)建国して高々60余年の国家が「自分たちは特別」と考えた訳ですが、どこかで聞いたような話ですな。
※※)最善という評価を下すには、評価軸が必要でしょう。何のための最善と評価したのでしょうか?
※※※)スプートニクやガガーリン、ベトナム戦争の敗戦がアメリカ国民に与えた衝撃は大きかったと聞いていましたが、その大きさの根拠がこの辺りにありそうですね。これまでの筆者の理解は浅かったようです。

 それを支えた根拠は、一つではなく、複数の思想が重なり合っていたそうです。

1)啓蒙思想(最も直接的な理論的根拠)
 最大の思想的根拠は、17~18世紀ヨーロッパの啓蒙思想なのだそうです。

 特に影響が大きかったのは、ジョン・ロック(1632年~1704年)※だったとのこと。
※)島田市岸の大日山瞰川寺の賑恤記念碑は1666年建立です。ジョン・ロックがオックスフォード大学で未刊行の「自然法論」を執筆したころ(1664年)です。

 ロックは、
・人間は生まれながらに自由である。
・生命・自由・財産という自然権を持つ。
・政府は人民の同意によってのみ正当化される。
・政府が自然権を侵害すれば、人民には抵抗権・革命権がある。
と論じた※そうです。
※)ロックの自然権は無制限の権利ではなく、「他人の同じ自然権を侵害しない限り」という条件の下で認められる権利なのだそうです。

 これは、アメリカ独立宣言の「すべての人は平等に造られ…」という思想に強く反映されているそうです。

 つまり、アメリカが「自由だから優れている」のではなく、「人間の自然な権利※に最も適合する制度だから優れている」という理屈だったとのこと。
※)「自然権」も浅薄な拡大解釈の温床のように思われます。

2)歴史的経験
 アメリカ人は「理論だけではない」とも考えていたそうです。

 彼らにとっては、
・イギリス国王への抵抗
・独立戦争での勝利
・憲法制定
という一連の経験が、「共和政は実際に機能する」※という実証になったとのこと。
※)「機能した」と「最善である」は、一般的には、評価軸が異なるはずですが、、。

 つまり、「実際に成功したではないか。」という経験則としたようです。

3)プロテスタント的世界観
 多くのアメリカ人は、特に
・ピューリタン※
・長老派※※
・会衆派※※
などの伝統の中で、「神は自由を愛する」と考えていたそうです。
※)(知っているようで知識不足かもしれない筆者は再調査しました)16世紀から17世紀にかけてイングランドで活動した、カルヴァン主義に基づく改革派プロテスタントの総称で、聖書を中心とした厳格な信仰と禁欲的な日常生活を重視したそうです。勤勉に働くことを神から与えられた使命(天職)とする倫理観を持つそうです。
※※)ジャン・カルヴァンの教理を受け継ぐカルヴァン主義のグループで、階層的な司教制度をとらず、選挙で選ばれた「長老」による合議制(長老制)で教会を運営する点に最大の特徴があるそうです。
※※※)キリスト教プロテスタントの一教派で、牧師や一部の指導者が運営を主導するのではなく、各個教会の信徒(会衆)が直接民主制に近い形で教会運営の全責任と決定権を担う「会衆制」と、他の教会の干渉を受けない各個教会の独立自治を最大の特徴としているそうです。
⇒⇒プラトンの懸念に如何様に対処していた(いる)のでしょうか?

 したがって、「自由な共和国は神の意志にもかなう」という理解が広く存在していたそうです。

 ただし、これは政治制度そのものの証明というより、政治制度への宗教的確信を強める役割を果たしたとのこと。

4)古代ローマ・ギリシャ
 建国世代は古代ローマ共和国※を非常に尊敬していたそうです。
※)より具体的には、帝政ローマではなく、第二次ポエニ戦争頃から、カルタゴを滅ぼす前後までが尊敬の対象だったようです。年代でいうと紀元前250年~紀元前150年のころの共和制のローマとのこと。ローマの全盛期は帝政開始以後のはずですが、それよりもずっと以前のカルタゴに勝利した時点のローマを理想としたのは興味深いところです。

 すなわち、共和政⇒市民の徳⇒自由という古典的伝統で、元老院・共和政・市民参加などを理想※としたようです。
※)古代ローマの共和制に倣いながらも、改善を加えたという点が「確信」に通じたのでしょうか?
⇒⇒歴史に習うのならば、「ローマ共和制もその全盛期から100年後に崩壊した(軍閥政治となった)」点に着目して「アメリカの共和制もどうなるか分からない」と考えてもよかったようですが、、。

5)「成功した国家」という自信
 独立後のアメリカは、西部開拓・人口増加・経済発展を続け、多くの人々が「この制度だから発展している」と考えるようになったそうです。

 ここでは「政治制度⇒国家の繁栄」という因果関係が想定されているそうです。

6)明白な天命への発展
 1840年代になると、これらの思想がさらに一歩進んだようです。

 つまり、「優れた制度である」から「だから広める使命がある」へ変化したそうです。

 そこで明白な天命(Manifest Destiny)になったそうです。

 すなわち、宗教的言語や歴史観と結びつき、「神がアメリカに特別な使命を与えた」という信念を提供したとのこと。

7)まとめ
政治哲学が「自由・共和政は正当である」という理論を与え、
独立戦争の成功が「実際にうまくいく」という経験を与え、
プロテスタント的世界観※が「神の摂理にもかなう」という道徳的確信を与え、
経済的・領土的成功が「歴史がその正しさを証明している」という自信を与えた。
※)上記のようにプロテスタントの主流は、基本的に、集団知を優先しています。これがプラトンの指摘した「衆愚」に通じないか危惧されるところではあります。

 こうした複数の要素が重なり合うことで、多くのアメリカ人は自国の制度を「世界で最も優れたもの」と考えるようになり、その一部が後に「明白な天命」という対外的な理念へ発展していった、と理解するのが歴史学でも比較的バランスの取れた説明と言えるのだそうです。

《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《

 やはり、アメリカ例外主義は「複数の要素のが重なり合うこと」で成立したようです。

 ですが、個々の要素はそれぞれが疑問符が付くレベルと筆者には感ぜられます。

 特に、宗教的信念が薄まった21世紀には「プロテスタント的世界観」の説得力も薄まったように思われます。

 「○○主義」が理論よりも成果や現実の多数決で構築される好例であり、だからこそ、その拡大解釈が野放図になる宿命を持つようにも感じます。

 次に続きます。

 このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらにリンクされます)。
 このシリーズの初回はこちら、同じく前回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争
・「ナポレオン戦争
・「テキサス独立戦争
・「第一次アフガン戦争」 
・「第一次アヘン戦争」   

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